なかむら歯科の神山美穂です。なかむら歯科は来年頭に45周年を迎えます。節目になるので少しだけ自分のプライベートなこととなかむら歯科の歴史を振り返らせてください。
昭和55年(1980年)に、我孫子市泉に父仲村啓二が仲村歯科を開業しました。私が幼稚園の頃です。エーデル幼稚園に通っていました。自宅の下がクリニックでしたので父と母が患者様の事を想い働く姿をよく覚えています。ただ、幼かったので弟と2人自宅の2階で騒ぐと患者様に迷惑だと静かにするように怒られたのもよく覚えています。
平成4年(1992年)に今の場所の2階に移転しました。私が江戸学園取手高校に通っている時の頃でした。まだ、イトーヨーカ堂様もなく、そこにゴルフ練習場がありました。その時は父1人が歯科医師でほかのスタッフも3人くらいだったようです。その後、患者様に感謝される父の背中をみていた私は東京医科歯科大学に進学し歯科医師の道を志すようになりました。
我孫子駅から御茶ノ水にある大学、大学院に通学する10年間で何度も千代田線の電車の中で歯で困っていて東京医科歯科歯学部附属病院にむかうであろう患者様に遭遇しました。「お母さん、大丈夫だよ、医科歯科大学病院にいけば、きっとよくかめる入れ歯をつくっておいしくご飯がたべれるよ」とおばあちゃまをお連れするご婦人。もちろん、勇気の無い私がその方々に話しかけることはありませんでしたが、そのたびに私の決意は固まりました。我孫子でも医科歯科大学と同じような治療を提供したい!設備を整えたい!と強く思うようになりました。それから、どうしたらそれができるのかを常に考えながら、今まで歯科技術の習得のために勉強し続けていると思います。まだまだ精進しないといけないですが、頑張っています。
2階で開業した時は治療イスは3台でしたが、有り難いことに患者様が増えてきて少しづつ増築をしていきました。そして、私達も歯科医師になり、先輩の先生方にも大学勤務の傍らお手伝いしていただくようになりながら、治療イスを7台になるまでに増築しました。
平成29年(2017年)に皆様により快適に治療を受けて頂けることを目的に、1階に診療室を移動させました。日曜日にスタッフ総出で2階から1階に引っ越ししたことが懐かしいです。また、目印になったらいいなと思った大きな歯ブラシはポケストップにもして頂きました。
そして、コロナの時代になり、少しでも患者様を分散してリスクを減らそうということから以前使っていた2階の診療室を再び使うようになりました。
2024年4月から、1階の待合室が狭いとのお声をうけ待合室のスペース拡張、2階の診療室の全面改装。3階には日々勉強熱心なスタッフが勉強会、カンファレンス等できるスペースを設けることになり改装工事がはじまりました。治療イスもたくさん増やしてできるだけ予約が取れない、お待たせすることが無いようにしていきたいと思います。また、外壁タイルの劣化もあり、万が一の事を考えて外壁の修繕と少しかわいらしい雰囲気になり皆様に和んでもらえるようにと外観も変えることを決意しました。しかし、改装に伴ってクリニックをお休みすると患者様にご迷惑をかかると思い、なんとか営業を続けながら改装できるように何度も打合せを重ねました。GWや歯科医院が休診の日また営業時間外の夜遅くまで工事をがんばってくださり頭が下がるおもいでした。また、工事中に来院した患者様には音がうるさかったり、養生してあったりご迷惑をおかけしました。7月になり外も中もピカピカに新しくなり気持ちの良い状態になりました。心機一転、気持ちを引き締めて皆様をお迎えできればと思っています。
外観はフィンランド語で
こんにちは、なかむら歯科です。私達は我孫子の地に開業して本当にたくさんの方にご来院いただき、皆様の健康を守る手伝いをしてきました。これは皆さんの悩みを取り除き、安心して過ごしてほしいという願いで積み重ねたものです。私達はこれからもみんなの歯医者さんとしてずっと身近な存在でありたいです。
と決意を書いてあります。また、大きなくまさんは創業者の父をイメージしています。
50年、60年とこれからも皆様のお役にたてるようにスタッフ一同頑張って参りますのでよろしくお願いします。